游明朝体とは
游明朝体は、字游工房が2002年に発売した和文の明朝体です。単行本や文庫本で小説の長文を組むことを目的に開発され、「時代小説が組めるような明朝体」というキーワードで説明されています。字游工房にとって初めての自社ブランド書体であり、Windows 8.1とmacOS(当時のOS X Mavericks)の双方に標準搭載されたことでも知られています。
誕生の背景
字游工房は1989年、写研出身の鈴木勉・鳥海修・片田啓一の3名が設立した書体制作会社です。設立当初の代表取締役は鈴木勉で、写研在籍時には「スーボ」「スーシャ」「ゴーシャ」などのオリジナル書体や、「本蘭明朝体」「ゴナ」の各ファミリーの制作で中心的な役割を果たした人物でした。設立後はヒラギノシリーズの開発を主導しています。
游明朝体は、字游工房が自社ブランドとして最初に手がけた書体です。ところが開発の途中、1998年5月6日に鈴木勉が病気のため49歳で死去します。字游工房自身、会社案内でこの出来事を「『游明朝体』の開発途中で病に倒れ」と表現しており、開発は道半ばで代表を失うかたちになりました。その後は鳥海修が代表取締役社長に就任し、開発を引き継いで游明朝体を完成させました。仮名のデザインは鳥海氏が担当したとされています。
1999年3月には、鈴木勉の仕事をまとめた追悼書籍『鈴木勉の本』が字游工房から刊行されました。字游工房の開発ノートによれば、この本の本文を組むことが決まった時点で游明朝体にはまだ専用の欧文書体がなく、アラビア数字さえ用意できていなかったといいます。急遽センチュリー・オールドスタイルをベースにした仮の欧文で間に合わせたものの、この一件がきっかけとなり、後に游明朝体専用のオリジナル欧文を新たに開発することになったと記されています。
設計の意図
游明朝体の漢字は、石井細明朝・岩田細明朝・本蘭明朝(いずれも写研書体)やヒラギノ明朝体と比較する開発ノートの中で説明されています。それによると、游明朝体は点が短く、角度が自然で、ハネも小さめ、ウロコの大きさも控えめで、ハネ先やハライ先を丸くしているのが特徴だといいます。こうした処理はメリハリが失われるという弱点もある一方、落ち着いた印象を与える効果があるとされています。縦画と左ハライの間隔についても、パーツ同士が近づきすぎて干渉しないよう風通しを確保しているのが游明朝体の設計だと説明されています。
欧文の設計にも独自の考え方が反映されています。『鈴木勉の本』での経験を経てオリジナル欧文を開発する際、字游工房はC・D・O・Qを広く、B・E・F・Sを狭くするオールドローマン様式を採用し、カーブは柔らかくすっきりとしたものにしています。さらに、文章の大半を占める仮名の大きさに合わせてエックスハイトを低くし、ディセンダーとアセンダーを長めに取ることで、和文と欧文が並んだときの調和を狙ったといいます。アラビア数字については、使いやすさを優先して半角セットとしました。
コンセプトについて、鳥海修氏本人はほぼ日刊イトイ新聞のインタビューで「普通の小説を普通に読めるような書体」ということでつくったと語り、目安として「藤沢周平の小説を組む」という言葉を使ったと述べています。奇をてらわず、読んでいて文字を意識させないことを狙った書体だとうかがえます。
どこで使われているか
もっとも大きな採用実績は、パソコンOSへの標準搭載です。マイクロソフトはWindows 8.1以降のWindows、そしてWindows 10・Windows 11にYu Minchoを標準搭載しています。ファイル構成はLight・Regular・Demiboldの3スタイルで、Microsoft Officeでもクラウドフォントとして利用できます。
AppleもOS X Mavericks以降のmacOSに游明朝体を標準搭載しました。現行のmacOS Sequoiaの同梱フォント一覧にも、YuMincho Medium・Demibold・Extrabold、および縦組み用のYuMincho +36p Kanaシリーズが掲載されています。WindowsとMacの双方に游明朝体が組み込まれたことで、両OS間で同じ書体を使える状況が生まれました。
このほか、字游工房公式の年表によれば、2013年には電子書籍リーダー(イーブックジャパン)に游明朝体Mが搭載され、一太郎2014パックにも游書体ライブラリーの一部として組み込まれています。2020年秋以降はMORISAWA PASSPORTやTypeSquareでも游明朝体全6ウエイトが提供されるようになりました。Adobe Fontsには「Yu Mincho Pr6N R」としてRegularウエイトのみが収録されています。
「藤沢周平の小説を組む」という鳥海氏の発言は、あくまで游明朝体のコンセプトを説明する言葉として語られたものです。藤沢周平作品そのものが実際に游明朝体で組まれ刊行された事例までは、今回確認できていません。

