秀英明朝とは
秀英明朝は、大日本印刷(DNP)が前身・秀英舎の時代から100年以上にわたり開発を続けてきた自社書体「秀英体」の、本文用明朝体です。金属活字の時代には東京築地活版製造所の築地体と並んで「金属活字書体の双璧」と評され、2005年から7年をかけた「平成の大改刻」で全面的に改刻されて、2009年以降デジタルフォントとして提供されています。書体メーカーではなく印刷会社が、自社の文字を一〇〇年以上作り継いできた。その積み重ねがそのまま形になった明朝体です。
誕生の背景
秀英舎は1876年(明治9年)、東京・銀座で創業した印刷会社です。DNP公式サイトの「秀英体の歴史」の年表によれば、1881年に活字の鋳造設備を導入して自社で活字を作り始め、翌1882年には活字の製造販売部門「製文堂」を設立します。1889年の「五号活字見本」発行から書体開発を本格化させ、1912年(明治45年)に初号から八号までの全活字の整備を終えました。こうして完成した秀英体は、同時代の東京築地活版製造所の築地体と並ぶ金属活字書体の双璧と評される存在になります。秀英舎は1935年に日清印刷と合併して大日本印刷となりますが、書体は社名が変わったあとも社内で使われ続けました。現在の秀英明朝が受け継いでいるのは、このうち金属活字の四号系統の書風です。
転機は活版の終わりとともに訪れます。DNPは2003年3月、127年続いた活字鋳造・組版事業を終了しました。同じ時期、秀英体の書風の変遷を記録に残すため、活字・印刷史の研究家である片塩二朗氏に調査が依頼されます。500ページに及んだ調査報告書は2004年に『秀英体研究』として書籍化されました。片塩氏は調査を通じて、長年の開発とデジタル展開の繰り返しのなかで「秀英体は、本来の姿ではなくなっている」と指摘し、若い世代の手による秀英体の再生を願うと語ったといいます。『一〇〇年目の書体づくり』の序文で、当時のDNP社長・北島義俊氏はこの言葉を受けて改刻を決意した経緯を記しています。
こうして2005年に始まったのが「平成の大改刻」です。DNPの秀英体開発室を中心に、朗文堂・字游工房・リョービイマジクスが加わったプロジェクトチームが組まれ、モリサワの公式記事によれば10書体・延べ12万字におよぶ規模のリニューアルが約7年をかけて進められました。改刻された秀英明朝はLが2009年、M・Bが2010年にモリサワから発売され、プロジェクト全体は2012年の東京TDC賞(タイプデザイン部門)に選ばれています。
設計の意図
改刻の方針について、DNP公式サイトの「秀英体のデザイン」は「『い』の一筆書きの書風など、これまでの特徴を踏襲しながら、細部のデザインは活字時代の原字に立ち返り、書体本来の姿を探っていきました」と説明しています。新しく作り直すのではなく、活字の原字にいったん戻る。デジタル化の過程で細っていった文字を、本来の姿へ引き戻すことが改刻の出発点でした。
もうひとつの特徴は黒みの設計です。同じ解説によれば、秀英明朝の横画は他社の明朝体に比べて太めに作られており、細い線のちらつきが少なく、目に優しい黒みを保つよう設計されています。モリサワの書体見本ページも、秀英体独特の連綿(文字から文字へ流れるようなつながり)を持ち、明るく整った落ち着いた雰囲気の本文組みができる書体として紹介しています。派手さではなく、長い文章を読み続けられる静かな紙面のための設計です。
どこで使われているか
秀英明朝は書籍の作り手と読者の双方から評価されてきた本文用書体だと、モリサワの公式ページは位置づけています。公式に確認できる採用例としては電子書籍の分野があり、DNPの「秀英体を使うには」のページには、ボイジャーが運営する電子書店「理想書店」で購入した書籍を秀英明朝で読めること、「honto」で購入した文芸コンテンツの電子書籍が秀英明朝Mまたは秀英横太明朝で表示されることが記載されています。
一方、紙の書籍や雑誌について、具体的な書名・出版社名を挙げた公式な採用実績は公表されていません。本文用書体はロゴやサインと違って、使われていても名前が表に出ることの少ない存在です。書店で手に取った本の本文が、実は秀英明朝だった——そういう静かな使われ方をしている書体だといえます。
