筑紫明朝とは
筑紫明朝は、2004年にフォントワークス(現Monotype傘下)が発表した明朝体(うろこやハネに毛筆の名残を残す書体)です。デザインは藤田重信。以後長く続く「筑紫書体」シリーズの第1弾であり、藤田がフォントワークスに移籍して最初に手がけた書体でもあります。金属活字時代のにじみやインク溜まりを再現した表情が特徴で、後年展開される筑紫オールド明朝・筑紫アンティーク明朝など一連のシリーズの出発点となった書体です。
誕生の背景
藤田重信は1957年、福岡県生まれ。筑陽学園高校デザイン科を卒業後、1975年に写真植字機研究所(後の株式会社写研)へ入社し、文字デザイン部門でおよそ22〜23年を過ごしました。本人はのちに、この写研在籍期間を下積みの時代だったと振り返っているとされ、1998年にフォントワークスへ移籍します。移籍は、良い明朝体をつくりたいという思いによるものだったとされ、筑紫明朝は移籍後、藤田が理想とする明朝体をはじめて実現する機会になった書体だと位置づけられています。
藤田には、写研時代に触れた石井明朝(オールドスタイルの明朝体)のひらがな「み」の筆致に強く感銘を受けた経験があり、この経験がのちの書体観に影響したと本人が語っているといいます。明朝体は伝統的(トラッド)な書式でありながら、500年におよぶ歴史性に惹かれていたと述べているとされ、筑紫明朝はこうした伝統への思いから生まれた書体だとされています。
シリーズの成り立ちを考えるうえで欠かせないのが、筑紫明朝と後継書体との関係です。藤田は、まず標準的な明朝体である筑紫明朝を2004年に発表したのち、2008年に石井明朝により近い表情を持つ筑紫オールド明朝を手がけており、この制作順序でよかったと振り返っているとされています。つまり筑紫明朝は、単独の書体であると同時に、シリーズがオールドスタイル系統へ展開していく起点でもあったということです。
フォントワークス公式コラムでは、筑紫明朝の設計方針について、明治期に生まれた活字の正方形の文字という従来の明朝体像よりも、文字固有の形を活かす方向で設計したと説明しており、横画起筆のにじみ・柔らかな縦画のハネ・右ハライの伸びやかさが特徴として挙げられています。シリーズ内でのちに登場する筑紫Aオールド明朝や筑紫アンティーク明朝と比較すると、うろこのにじみや起筆部の表現がより古風な印象へ段階的に変化していく、という位置づけも同コラムで説明されています。FONTPLUS公式ブログも同様に、筑紫明朝は一般的な明朝体と比べてふところ(文字内部の空間)が狭くレトロな趣を持つ書体だとし、後発の筑紫オールド明朝はふところがさらに一回り狭く、より古風な設計になっていると整理しています。
2004年には、見出し用書体である筑紫見出ミンも同時期にリリースされたと専門メディアで伝えられています(直接の裏付け資料は見当たりません)。筑紫書体シリーズはここを皮切りに、2006年筑紫ゴシック、2008年筑紫オールド明朝・筑紫丸ゴシックと続き、その後も筑紫アンティーク明朝、筑紫Q明朝、筑紫ヴィンテージ明朝など、長期にわたり拡張が続いています。これは専門メディアの整理をもとにした内容で、個別のリリース時期以上に踏み込んだ裏付けは取れていません。
藤田重信・筑紫書体シリーズは、2010年東京TDC賞(対象は筑紫オールド明朝・筑紫丸ゴシック)、2017年グッドデザイン賞(筑紫書体シリーズ全体)、2018年東京TDC賞タイプデザイン賞(筑紫書体第2期)を受けています。いずれも筑紫明朝そのものが単独の受賞対象として明記されているわけではない点には注意が必要です。2024年1月には、藤田重信と筑紫書体シリーズを取材した書籍『筑紫書体と藤田重信』(PIE International刊)が発売されました。
設計の意図
藤田は筑紫明朝Lウエイトについて、横画の打ち込み部分に金属活字のにじみやインク溜まりを再現し、文字を拡大しても始筆・終筆部分が機械的に切れたような角にならないよう設計したと説明しているとされます。装丁家の戸田ツトム氏からは、電算写植では踏襲できなかった金属活字の良さが受け継がれていると評価された、と本人が紹介しているといいます。
藤田はまた、筑紫明朝Lの発表当時、写研の明朝体を知る利用者の多くから、DTP環境でようやくこうした明朝体が出てきたという反応を得たと振り返っているとされます。
フォントワークス公式の製品ページは、筑紫明朝を、活字・写植時代の本質を踏まえながら明朝体のあるべき姿を追求した、長文の本文組を想定した書体だと説明しています。文字そのものが内在する空間の強弱と線質の伸びやかさによって、組版時には「リズミカルな心地よい可読性」を実現するとしています。
印刷用の派生ウエイトである筑紫明朝-LB/RBは、背景色や写真の上に文字を重ねても美しく読める細ウエイトの明朝体がほしいという要望に応えて、2003年(LB)・2004年(RB)に開発されたウエイトです。横線だけでなく縦線・曲線も太くすることで、黒地に白抜きで印刷した際に通常版と同等の太さに見えるよう設計されています。
藤田は筑紫書体シリーズ全般について、こういう書体があるときっと面白いと思えるものをつくることを開発方針としていると述べているとされ、この発想から筑紫アンティークや筑紫ヴィンテージ、筑紫Q明朝などが生まれたといいます。
「筑紫」という書体名の由来については、藤田の出身地である福岡(筑紫は同地方の古称)との関連が推測されますが、これを明言した本人の言葉は見つかっていません。
どこで使われているか
公式に確認できる使用例として、ブックデザイナーの鈴木一誌氏が、印刷用ウエイトの筑紫明朝-LB/RBを実際の書籍制作で使用したことが、フォントワークス公式コラムで紹介されています。氏はCTP印刷時に生じる文字の太さの変動に対応できる実用性を評価しており、使用例として書籍『遊撃の美学 映画監督中島貞夫』(2004年)が挙げられています。
一方、ブックデザイナーの名久井直子氏へのフォントワークス公式インタビューでは、同氏が筑紫Aオールド明朝・筑紫Bオールド明朝・筑紫アンティーク明朝など筑紫書体シリーズの複数書体を書籍装丁で使用したことが具体的な書名とともに語られていますが、無印の筑紫明朝そのものへの言及は見当たりません。また、筑紫書体シリーズ全体がテレビのテロップやゲームなどのデジタルコンテンツ、書籍の装丁やパッケージデザインといった紙媒体で使われていると紹介する専門メディア・個人ブログもありますが、これは筑紫明朝単体を名指しした整理ではなく、見た目からの観察や伝聞にとどまるものです。
