Univers — 書体をひとつの宇宙として設計した、番号で語るサンセリフ

Deberny & Peignot — アドリアン・フルティガー — 1957
公開 2026-07-23
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出典: MyFonts(Univers) のスクリーンショット(2026-07-23取得・引用)

Universとは

Universは、1957年にパリの活字鋳造所ドゥベルニ・エ・ペニョ(Deberny & Peignot)から発表された欧文サンセリフ体です。設計したのはスイス出身のアドリアン・フルティガー。個々のスタイルに名前ではなく「Univers 55」のような2桁の番号を与え、太さと幅の異なるバリエーション群を最初からひとつの体系として構想した点で、書体ファミリーという考え方そのものを塗り替えた存在です。現在はMonotype傘下のMyFontsで、オリジナル系統の27書体と、改刻版「Univers Next」が販売されています。

誕生の背景

Universの出発点は、写真植字機のためのコンペにも似た、社内での一場面でした。ドゥベルニ・エ・ペニョは1954年、自社が手がける光学式写植機Lumitype(ルミタイプ)の書体ラインナップに、複数のウエイトを持つサンセリフ体を加えようとしていました。社主シャルル・ペニョの念頭にあったのは、既存の幾何学的サンセリフであるFuturaの採用です。これに対して、当時同社のアートディレクターだった20代のフルティガーが代案の提出を申し出て、10日間で書体システム全体の構想を組み上げた——本人が晩年のインタビューでそう語っています。

下敷きになったのは、学生時代の仕事でした。フルティガーはチューリッヒ工芸美術学校時代にすでに、線の太さに抑揚を持たせたグロテスク体(サンセリフ体の伝統的な呼び名)を複数のウエイトで描いており、「monde」という短い単語で約16のバリエーションを作って星形に並べた有名なデッサンが残っています。フルティガーのアーカイブを所蔵するチューリッヒのミュージアム・フュア・ゲシュタルトゥングは、1950〜51年の学校課題として制作されたこのデッサンを、のちのUniversの基礎と位置づけています。

試作を見たペニョの反応を、フルティガーは「なんということだ、アドリアン、これこそが未来だ」という言葉として記憶しています。開発にはスイス人ドラフツマンのブルーノ・プフェフリとアンドレ・ギュルトレールが加わり、2か月で体系全体が形になりました。書体名はフルティガー自身が「Le Monde」や「Galaxy」を提案したものの、最終的にペニョが「Univers(宇宙)」と命名。フルティガー本人はこの書体を、21のバリエーションからなるひとつのシステムだったと振り返っています。

設計の意図

ドゥベルニ・エ・ペニョがこの書体に求めたのは、単なる見出し用のサンセリフではなく、長い本文の組版に耐えるサンセリフでした。当時のサンセリフ体にとって、これはかなり挑戦的な要求です。既存書体の翻案ではなく新設計を選んだのは、この課題に正面から答えるためでした。

そしてUniversを歴史に残したのが、ナンバリングシステムです。フルティガーが問題にしたのは、国際市場での名称の混乱でした。同じ「セミボールドイタリック」でも、ドイツ語ではhalbfett kursiv、フランス語ではsemi grasかgrasか判然としない。言葉でウエイトを呼ぶ限り、国境を越えるたびに解釈がぶれます。そこで彼は、本文用の標準スタイルを「55」と定め、10の位で太さを、1の位で幅を表す2桁の座標を各スタイルに与えました。現行の製品構成でも、45 Light、55 Roman、65 Bold、75 Blackと10の位が太さの段階を示し、57 Condensed、59 Ultra Condensed、53 Extendedと1の位が幅の違いを示す体系を確認できます。書体を個別の「顔」の寄せ集めではなく、座標を持ったひとつの空間として設計する。Universの本当の発明は、字形よりもこの考え方だったといえます。

この体系は後年、フルティガー自身の手で拡張されます。1997年、彼はLinotypeの設計スタッフとともにファミリー全体を再設計し、27書体から63書体へと拡大しました。再設計にあたっては鋼に彫られた金属活字のUniversまで立ち返ってプロポーションを取り直し、イタリックはすべて描き直されたと本人が語っています。この改刻版は2010年に「Univers Next」へ改称され、太さ・幅・字体(正体かイタリックか)を3桁で表す拡張ナンバリングを備えています。

どこで使われているか

もっともよく知られた使用例のひとつが、1972年のミュンヘンオリンピックです。書体の使用例を写真付きで収集するサイトFonts In Useは、同大会の公式デザインマニュアル(1969年完成)を紹介し、大会の公式コミュニケーションにはUnivers以外の書体は使われなかったと解説しています。オリンピックという規模の催しを単一のサンセリフで貫いた、大規模なビジュアルアイデンティティの事例です。なおこのマニュアルは2019年に復刻出版されています。

一方で、Universには有名な「混同」もあります。パリのシャルル・ド・ゴール空港のサインをUniversと紹介する記述を見かけることがありますが、前出のミュージアム・フュア・ゲシュタルトゥングのアーカイブ解説によれば、フルティガーが1970年から同空港のために設計したのは別のサイン用書体で、これはのちに「Frutiger」の名で1976年に発売されました。同解説は、フルティガーがこの空港書体を、HelveticaやUniversのような閉じた曲線を持つ書体よりも人間的なものと考えていたとも記しています。つまり空港のあの文字は、Universではなく、Universへの自己批評から生まれた別の書体です。

なお、ヨーロッパでの普及についてフルティガーは、ドイツと世界でUniversを主に販売したのはH. Berthold AG社であり、その版がもっとも良い出来だったと振り返っています。

FAQ
Universは商用利用できますか?

できます。MyFontsでデスクトップ用・Web用などのライセンスを購入する形が基本です。ロゴ利用や組み込みなど用途によって条件が異なるため、購入前に必ず公式の許諾範囲を確認してください。

Univers 55の「55」は何を意味しますか?

体系の中心となる本文用スタイルの座標です。10の位が太さ(45 Light、55 Roman、65 Bold、75 Blackなど)、1の位が幅(55が標準、57 Condensed、53 Extendedなど)を表します。1997年改刻の「Univers Next」では、太さ・幅・字体を3桁で表す拡張版に発展しました。

書体の「Frutiger」とUniversはどう違いますか?

どちらもアドリアン・フルティガーの設計ですが、別の書体です。Frutigerはパリ・シャルル・ド・ゴール空港のサインのために1970年から設計され、1976年に発売されました。空港サインの書体をUniversと紹介する記述は、この2書体の混同である可能性が高いです。

SOURCES — 参考文献・出典8 REFS
[01]Reputations: Adrian Frutiger | Eye Magazine(1999年春号インタビュー)[02]Univers Font | MyFonts(Linotype)[03]Univers Next Font | MyFonts(Linotype)[04](Vorprojekt der Univers), Groteskentwurf in drei Fetten | Museum für Gestaltung eGuide[05]Typeface design, Douane, 1970–72 | Museum für Gestaltung eGuide[06]Organisationskomitee für die Spiele der XX. Olympiade München 1972 | Fonts In Use[07]Fonts included with macOS Sequoia | Apple[08]Fonts included with macOS Tahoe | Apple