Caslonとは
Caslon(カスロン)は、18世紀ロンドンの活字父型彫刻師ウィリアム・カスロンが作ったオールドスタイル・セリフ体です。もとは銃器の装飾彫刻を生業としていた職人が、印刷業者に見込まれて活字彫刻の道に入り、やがて英国活字の標準になりました。「困ったらCaslonを使え(When in doubt, use Caslon)」という格言は、この書体が長年にわたって印刷現場の信頼を集めてきたことを物語っています。米国独立宣言の初版印刷にCaslon活字が使われたとする説も広く知られていますが、どの活字が具体的に一致するかまでは、書体史研究の水準ではまだ確定していません。
誕生の背景
ウィリアム・カスロンは1692年(1693年生まれとする資料もあります)、イングランド・ウスターシャー州クラドリーに生まれました。若い頃は銃器の銃身や銃床に施す装飾彫刻を仕事にしており、1716年にロンドンのヴァイン・ストリートで開業した際も、製本業者向けの型押し工具を彫る仕事を兼ねていました。この工具彫刻の腕を見込んだのが、当時著名な印刷業者だったジョン・ワッツです。ワッツはカスロンに活字父型の彫刻も依頼し、資金と小規模な鋳造設備一式を提供したと伝えられています。銃器職人が活字の世界に足を踏み入れた、この出会いがすべての始まりでした。
最初の仕事はラテン文字ではなく、1720年にキリスト教知識普及協会の依頼で手がけたアラビア文字活字でした。続く1722年には印刷者ボウヤーのために、『セルデン著作集』を組むためのローマン体・イタリック体・ヘブライ文字の一式を制作します。その後も1731年に初めて使われたコプト文字など、非ラテン文字の仕事を重ねていきました。評判は早くから広がり、印刷業者ヘンリー・ニューマンは1733年、カスロンの仕事を「その道でヨーロッパのあらゆる職人を凌駕しようとしているように見える」と評したと伝えられています。事業所は1737年にチズウェル・ストリート(Chiswell Street)へ移り、以後200年余りにわたってこの地に留まり続けました。
長らく「1734年発行」とされてきた最初の活字見本紙は、研究者ジョン・A・レインの文書調査により、実際の発行開始は1738年以降だったことが判明しています。見本紙は百科事典『Cyclopedia』への寄稿としても収録され、古書業者によって単独の紙葉として切り売りされることも多かったといいます。事業の設立年についても、カスロン一族が後年主張した1716年説と、同時代の活字見本に基づく1720年説の2つが今も併存しています。
設計の意図
カスロン本人が自らの設計意図を語った記録は残されていません。以下は後世の活字史研究による解釈です。カスロンの字形は、17世紀にオランダで作られ英国に輸入されていたバロック様式の活字から強い影響を受けているとされます。大文字の「A」の左上に凹んだくぼみがあること、「G」に下向きの突起がないこと、「M」の両脇の線がまっすぐであること。本文サイズでのストロークの太細差は控えめで、けれんみのない実務的な字形でした。一方でオリジナルには「Q」「T」「v」「w」「z」などにスワッシュ(装飾線)を伴う字形も含まれており、現代のリバイバル版すべてがこれを継承しているわけではありません。カスロンは同じアルファベットでもサイズごとに異なる字形を彫っており、大きいサイズほどストロークのコントラストを強めていたことも知られています。
18世紀後半、Caslonの活字は一時的に人気を落とします。要因はジョン・バスカヴィルに代表される「トランジショナル」書体の登場と、より大きくはジャンバッティスタ・ボドーニらに代表される「モダン」書体の流行でした。活字史研究者ジョン・ジョンソンは、カスロンの1764年の見本帳について「100年前に作られたものと言われても通用しただろう」と評したと伝えられています。それでも印刷業界内での評価は途切れませんでした。トーマス・カーソン・ハンサードは1825年、カスロンが英国を「活字における劣等国という不名誉」から救ったと書き、エドワード・ブルは1842年に彼を「英国活字の偉大な始祖」と呼んだと伝えられています。
19世紀後半のアーツ・アンド・クラフツ運動の中で、Caslonの人気は復活します。1852年出版の小説『The History of Henry Esmond』は、18世紀初頭の雰囲気を出すために「ちょうど流行が戻りつつあった」Caslon活字で組まれたと伝えられ、高級印刷を手がけるチジック・プレス(Chiswick Press)はカスロン鋳造所からオリジナルの活字そのものを購入して使用しました。「困ったらCaslonを使え」という格言は、この復権期に印刷職人・植字工の間で広まった実務上の言い回しとされ、20世紀に入ってからも現場で使われ続けたと複数の資料が伝えています。ウェブ上ではカスロン本人の言葉として紹介されることも多いのですが、本人が語ったとする一次資料は見つかっていません。書体としてのCaslonが長年かけて積み上げた信頼を、後世の職人が言い表した言葉と見るのが実態に近いようです。
どこで使われているか
米国独立宣言との関わりは、Caslonという名前を語るうえで避けて通れない話です。1776年7月4日の採択直後、印刷業者ジョン・ダンラップが徹夜で仕上げた最初の印刷版(Dunlap broadside)はCaslon系の活字で組まれたと広く語られており、バージニア大学の公式ブランドページも「フィラデルフィアのジョン・ダンラップがトーマス・ジェファーソンの独立宣言の最初の印刷版を組んだとき、彼が選んだ活字はCaslonだった」と明記し、Adobe Caslonを大学ロゴシステムの書体として採用しています。Adobe Fontsの公式解説も「米国独立宣言と憲法の最初の印刷はCaslonで組まれた」と述べています。
一方で、この一致がどこまで正確なのかは書体史研究の水準ではまだ確定していません。書体・実例の専門アーカイブFonts In Useに掲載されたニック・シャーマンの字形照合記事(2012年、研究者ジェームズ・モズリーの見解を随所に引きながら書かれています)は、ダンラップ版とカスロンの1766年活字見本帳を高解像度画像で比較し、見出し「A DECLARATION」はカスロンの「Four Lines Pica」にきわめて近いものの、Eだけは幅が狭く横画のセリフが大きい、といった「完全には一致しない」点をいくつも指摘しています。活字の一部が模倣品だった可能性や、摩耗した活字が別の書体で補われた可能性も残ると述べたうえで、シャーマンは「これは継続的な取り組みになるだろう」と記事を結んでいます。「英国製Caslon系の活字が使われた」という大枠は広く支持されている一方、具体的にどの活字がどこまで正確にカスロン本人のものだったかは、いまも確定していないというのが正しい理解でしょう。
現代のCaslonでよく見る使用例は、リバイバル版の姿をしています。USCの公式ブランドガイドラインは、南カリフォルニア大学の公式書体としてAdobe Caslon Proを採用していると明記しています。またマシュー・カーターが大サイズ向けに設計したBig Caslonは、長らくmacOS(旧OS X)に標準搭載されてきたことで多くのデザイナーに親しまれてきました。2011年にはニューヨーク近代美術館(MoMA)の永久コレクション入りも果たしています。書体・実例の専門アーカイブFonts In Useには、テイラー・スウィフトのアルバム『The Tortured Poets Department』(2024年)でBig Caslonが使われた例も記録されています。
Benjamin FranklinがCaslon活字を米国植民地に導入した最初の人物だったとする話もよく語られますが、具体的な年代は資料によって食い違っています。1732年に導入したとする記述と、1759年に購入したとする記述の両方があり、フランクリン本人がカスロンと直接面識があったとする話も、書簡など一次資料での裏付けは確認できていません。この点は華やかな逸話として広く流布していますが、実務上の確度としては留保が必要です。

